2016年03月10日

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2011年07月31日

差し入れに手を合わせる

20110730.jpg 妻の同僚のイギリス人が、差し入れとして草団子とともに置いていったのがコレ。目的が分からなければカワイイ形をしているし色もキレイ、コンパクトでいい感じ。日本語はちょっとは話せるけど「供物」は読めないよねぇ。
 ま、お菓子はお菓子。娘と二人でいただきます。
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2011年06月23日

それでいいの? カード解約

 最近はどのクレジットカード会社もサービスを縮小していて、この機会にと手持ちのカードを整理中。整理と言っても、自営業者である私が新規でクレジット会員になるのは今でも難しく、というか最近またハードルが高くなったのかな?、判断を誤ると手元にカードが無くなるというあ悲劇が起こるので慎重に。
 私にとってもサービスとは、貧乏人なものなので年会費、ポイント付与(またはキャッシュバック)、付帯保険。今回整理の対象になったカードは、年会費がかかる(利用すればかからなくなるが)ようになり、ポイント付与が廃止されたもの。
 カード解約は何度も何度も経験してきたけど、電話オペレータが解約させまいとしたり他のサービスを売り込んだりするものなので、ちょっと悪い気もしたりして気が重いものだった。ところが今回はまったく違った。自動音声応答で電話機のダイヤルキーから処理コードを入力し、カードIDも入力しただけで終了。解約時の注意点はアナウンスされたものの、それだけで家族カードも含めて解約が済んでしまった。以前のように鋏を入れたカードを専用封筒で返送させるようなところは無くなったかもしれないけど、ここまで簡素化されていいの? 第一、住所・電話番号や生年月日などの本人確認もせずに、全てのサービスが終了なんて強引すぎる。伝えたのはカードIDだけで認証コードも暗所番号も入れてないから、これなら他人のカードも簡単に解約できちゃう。これでいいの?
 と、ここまで書いて思いついたけど、もしかしたら電話の発信番号をチェックしているのかもしれない。それでも本人以外の家族が解約できてしまうことは避けられないけど、赤の他人が成りすまして実行することはないだろう。今回解約手続きした電話番号が登録してあったものだったかどうか分からないので、別名義の同カードを試しに公衆電話などから解約してみようかな。
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2011年06月16日

肩身が狭い?

 毎年この時期になると思い出し、心待ちにしているのがネジバナ。ここに引っ越してきてから毎年撮った写真を掲載しているつもりになっていたら、ここ2年は撮っただけになっていた。二〇〇五年六月二一日二〇〇六年六月十七日二〇〇七年六月十六日、そして二〇〇八年六月十三日。気候は毎年違うのに、ネジバナは影響を受けにくいようだ。
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 7年前にこのアパートへの入居を決めたのは、ベランダ越しに見える芝生がとてもキレイだったから。当初は手入れが行き届いて芝生が保たれていたが、オーナーの懐事情が苦しくなったのか放置されがちになり、芝生は徐々に雑草に取って代わられ、庭木はぼうぼうになり、ついに大きな松の木も枯れてしまった。ネジバナは芝生とともに生きるような植物なので数は減っていったし、背の高い雑草に紛れて見つけにくくなってしまった。
 梅雨に入って急に雑草の勢いが増し、ベランダと庭の高さが同じなので布団さえ干すことができなくなったため、管理会社の草刈り(以前は芝刈りだったのに〜)を待たずに根こそぎ抜くようにしていて、刺す虫の増える前にと今日実行した。この春、我が家のベランダで生まれたカマキリたちが2倍ぐらいの大きさになってたくさん出てきてくれた。
 そこから今年もネジバナを発見。まだ1株だけ。他にピンク色の花をつける雑草もあるので、遠目では見つけることができていなかった。芝生は全く無くなってしまったけど、ネジバナ自身は結構タフなのかも。
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2011年05月19日

クリの花とアオバズク

 夕暮れどき、駅から帰る途中でクリの花のあの独特な匂いが漂ってきた。この匂いを嗅ぐと、これから湿度が上がるな、蒸し暑くなるなと体が準備を始めるのだ。通りがかった森の中では、とても小さな声でアオバズクが鳴き始めていた。今年も来たんだなぁ。どちらも、当地方気象台での生物季節観測の対象になっていない。
 二〇〇九年五月十一日のアオバズクの声はこちら。以来、毎年確認できている。
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2011年05月18日

余計なことを・・・

 我が家のテレビはPCモニターと兼用でアナログチューナー内蔵のものだけど、ケーブルテレビ会社があと4年間ほどデジアナ変換してくれることになったので「地デジ化」なんて強要されなくて済んだなーと喜んでた。16:9化されて画面の25%を占める黒帯部分に表示されていた「アナログ」の文字が消え、さらに大喜びしていたのに。
 さっき・・・・と言っても2時間ほど前に、日付が変わる前までは真っ黒だった黒帯部分に「デジアナ変換」の文字が。復活、どころか文字数が5割増しになってるじゃん...orz 表示されているのはNHKの2つのチャンネルだけで、民放ではされていまいまま。さては、渋谷方面から何か圧力がかかったのかな・・・なんて思って風呂に入っているうちに、テレビ東京テレビ埼玉を除く民放の画面にも「デジアナ変換」の文字が。おお、大手からの圧力で、地方局は免れるか・・・じゃなくて順番に切り替えているらしく、この記事を書いているうちに残る2局にも表示され出しちゃった。余計なことを。放送が終わったNHK教育テレビなどでは画面中央に「受信できません(E202)」と地デジらしく表示されているけど、やはり右上には「デジアナ変換」の文字が。ケーブルテレビ会社が独自に付加してるんだな。
 やっぱり、テレビの視聴は終了かな。
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2011年05月13日

赤浜(蓬莱島=ひょっこりひょうたん島)

 赤浜というのは、岩手県上閉伊郡大槌町にある地名。人口の少ない町なのでどこが中心部なのか分からないが、JR山田線の大槌駅や町役場のあった辺りをそう呼ぶのであれば中心部から程近いところにある。数十年前の私が訪れていた頃にはすでに護岸が整備済みで、「浜」と言った面影は無かった。山が海に迫り、その最後の平地のぎりぎりまで住宅地が広がり、その向こう端から幅の狭い防波堤が海に向かって突き出していた。その長さは400m以上。この堤防が、大槌湾の入口に立ちはだかって町の中心部を守っていた。
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 蓬莱島はその防波堤の先端にある。先端にあると言うより、蓬莱島と赤浜の一番近いところを防波堤で結んだ感じ。蓬莱島はその形から作家の故・井上ひさし氏が「ひょっこりひょうたん島」のモチーフの一つとしたとされているが、私がここを訪れるようになった頃はすでに放送後だったものの、そのことを知ったのはかなり後になってからだ。島自体は長辺でも50mほどの小さなものだが、瓢箪の大きいほうの膨らみにあたる部分では高さが10mほどあり、近くに行くとそそり立っている感じがした。いちばん高いところに神社があり、四方を崖に囲まれている。瓢箪の小さいほうの膨らみにあたる部分には灯台があった。灯台の部分以外は松の木に覆われ、小さい島ながらバラエティに富んでいた。
 しかし私や私の弟をワクワクさせたのは、もっと下のほう。まずこの長ーい防波堤。高所恐怖症で泳げない私にとって、深い海に挟まれた細い小径など恐怖そのもののはずだが、海水は透明でいつも訪れる朝方は海面も鏡のようで底までよく見え、普段川魚に馴染んでいた私たちにとっては珍しい魚ばかり。海底にいるアメフラシやウミウシやウニ、ハコフグが泳いでいたり、防波堤にはカニやエビがたくさん。そして蓬莱島は大きな岩が重なり合った感じの磯そのもので、岩の裏側や水の溜まったところは海の生物の宝庫。近くに水族館は無かったけど、年に一度ここを訪れるのが楽しみで楽しみでしょうがなかった。特に弟は。持ち帰っても生かし続けることはできないのに、子供らしくどうしてもいろんな生き物を持ち帰ってはすぐに死なせ腐らせてしまってたっけ。
 波板海岸の項でも書いたが、ここに連れてきてくれたのは最初は叔父だった。国道からも外れたところ、ここの最初に訪れたのは何か情報があったのか、それともたまたま見つけたのか分からない(いつか聞いてみようか、叔父が健在なうちに)。以降、浪板海岸や吉里吉里に海水浴に出掛けた際には必ず立ち寄るようになった。浪板海岸や吉里吉里は同じ大槌町内にあり、赤浜からはあと半島を一つ越えるだけだから。だから、訪れるのは必ず朝だった。
 上記の写真は1977年のもので、ちょうど私が頻繁に訪れていた頃なので私の記憶の中の赤浜とほぼ一致している。以来30年近く訪れていないうちに様相はかなり変わり、防波堤の根元には東大海洋研究所ができ、専用の船着場などが整備されていたようだ。
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 津波は大槌湾にも深く入り込み、湾内でも平地はごく僅かしか無かったためか、そこに被害が集中したようだ。僅かな平地=市街地のほとんどであったため、町は壊滅状態。その海沿いにあった町役場に町長や幹部が集まって会議をしているところを津波が襲ったため、町長を含むほとんどの幹部が亡くなってしまった。今回の大震災で唯一、首長が亡くなったところでもある。町の機能まで止まってしまった。
 ちょうど大槌町内でドック入りしていた釜石市の大型観光船「はまゆり」が、ほぼ無傷のまま二階建ての民宿の屋根の上の取り残されたのは、防波堤のすぐそばのこの赤浜でのことだ。

 震災後の写真からは防波堤がすべて消え、その残骸と思われるものがやや湾の奥寄りに沈んでいるのが見える。押し波で一気に崩れたのだろう。小さな蓬莱島もたぶん全体が津波を被ったはずで、島の面積はやや小さくなり、灯台は根元から折れて海に消え、松の木も減ってしまった。しかし島自体は消えることなく、神社の建物は残り、残った木もかなりある。波は高くても湾の入口にあるので、何かがぶつかって壊れるという可能性が低かったのだろう。以前の蓬莱島はいろんなものが乗っかってそう見えなかったし私も気づかなかったのだが、今の蓬莱島は防波堤が外れて灯台が無くなり、木も減って島自体の形が露出し、瓢箪島らしく見えるようになった。井上ひさし氏が無くなって1年、瓢箪島は昔の面影を取り戻してここに残った。海に浮かぶ島に戻った。
 民宿の上の観光船は震災の象徴として残す話もあったそうだが、先日結局地面に下ろされて解体が始まった。もったいない気がするのだけど・・・。

 ここにも娘を連れてきたかったが、島は本当に島になってしまったのでもう叶わない。また防波堤で繋ぎ止められてしまう日は来るのだろうか。

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2011年05月09日

輪番停電(など)の代償・・・229円orz

 ちょっと前まで優良企業、最近は憂慮企業となった東京電力から、今月分の検針票が来た。既報どおり、停電による基本料金の割引が成されていた。
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 一日1時間以上停電すると、月の基本料金から一日あたり4%割り引かれる。日数が少ない二月でも1日は月の3.6%だから良心的に見える。しかし、我が家の契約だと割引額は僅か32.76円/日。停電は大震災当日が9時間ほどで、その後輪番停電が6回。最初の4回はきっちり3時間で、残りの2回はそれぞれ1時間あまりだった。計7回の停電の代償は、僅か229円。我が家では飲み水用のタンクとか懐中電灯とかロウソクとか既存のもので対処できたけど、あの心理的な負担とか、まったく仕事にならなかった3時間の代償がこれだけとは・・・。いちばん面倒で時間がかかったのは情報収集かなぁ。
 検針票を見て「太陽光促進付加金」というのが徴収されているのを初めて知った。原発停止の穴埋めで太陽光発電などと結びつけてしまったけど、これ自体は原発事故と関係なく今年四月からコッソリ徴収され始めていたもの。今回のようなことが無かったら、暫く気づかなかったのかも。今後、誰かさんの暴走でコストのかかる太陽光発電の買い取りが急増したら、この付加金が大幅に値上がりしたりして。
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2011年05月01日

酒やタバコは放射線より恐い

受動喫煙の女性1.02〜1.03倍
野菜不足1.06倍
放射線100〜200mSv1.08倍
塩分の取りすぎ1.11〜1.15倍
放射線200〜500mSv1.16倍
運動不足1.15〜1.19倍
肥満1.22倍
放射線1Sv1.4倍
毎日2合以上の飲酒1.4倍
放射線2Sv1.6倍
喫煙1.6倍
毎日3合以上の飲酒1.6倍

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2011年04月03日

高田松原

 実際に陸前高田市にある高田松原に海水浴に行ったのは、まだ実家に車が無く、夏に埼玉から車でやってくる叔父に何度か連れてってもらったぐらい。融通の利かない余裕の無い父と違って、兄弟なのに全然違って行動的。いろんなところに連れてってもらったのだ。そのときの記憶はほとんど無いが、海が温かいという印象だけが残っている。岩手には小さな海水浴場がたくさんあったが、真夏でも水は冷たく永く入っていられなかったから。
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 その後は、気仙沼の割烹大松で食事をした帰りに皆で立ち寄ったのが最後と記憶している。かなり整備が進んでいたようで、写真を見ると7万本の松の木と2kmに及ぶ広い真っ白な砂浜、まわりにも店が増え、たぶん今でも岩手の海水浴場としては一番人気ではなかっただろうか。ここにも、娘を連れて行こうと計画していた。親友の奥さんの実家が海の近くにあり、招待されていたこともあったから。
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 浪板海岸の背後にあった松林は半分ぐらい残っていたが、高田松原の松は完全に壊滅した。報道によると、松の木が一本だけ残っているそうである。まわりの豊かな町も消えてしまった。
 親友には震災後しばらく連絡が取れなかったが、一週間後に電話をしたら出てくれた。祈るように気持ちで勇気を出して奥さんの両親の安否を訊いたら、奇跡的なタイミングで助かっていた。自宅に居たら逃げることもできなかったが、たまたま出先で、しかも津波が来る前に本家に身を寄せていて帰宅していなかったのだ。その本家も津波に襲われたが、海から比較的遠かったので助かった。今後は内陸にある親友の自宅に同居することになるそうである。いずれはそのつもりでそういう設計で家を建てていて、期せずしてそのときがきたのだ。

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2011年04月02日

南気仙沼の割烹大松

 パラグライディングが日本で全盛期だった頃、レッスン生を引率する形で全国を(ちょこっと海外も)文字どおり飛び回っていた時期がある。当然、その中に故郷の岩手周辺も含まれていた。確か一九九四年か翌五年、十数名で押しかけたときの最初の集合地が現一関市内にある室根山だったと記憶している。夏の天気のいい日だったが、途中から積乱雲が近づき、人数も多かったので何人か飛ばしたところでクローズ。私はその時も、その後も何度か訪れているが一度も飛べていないところだ。
 室根山を訪れた初回だったと思う。地元の人にこの辺りでおいしいものを食べられるところと伺ったときに、口をそろえて進められたのが気仙沼市にある大松だった。釜飯がおいしいということだったけど、気仙沼に行くとなると宿の反対方向に数十km移動することになり、帰りが一般道ばかり百数十kmになってしまうので躊躇したことを覚えている。でも近隣に食事できるようなところは少ないし、せっかくここまで来たのだからと皆で向かった。
 今思うと、書いてもらった簡単な地図だけでよく辿り着けたと思う。気仙沼の市街地を抜けてさらに海側へ。JR気仙沼線の南気仙沼駅の近くであることは到着したときに分かり、海のにおいががしていた。地図を詳しく見たのは震災後だが、細長い深い湾と川の間に挟まれた、半島のように海に突き出たところの真ん中にあったのだ。Yahoo!地図では現時点で震災前の画像のままで、当時を思い出すことができた。
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 外観は、当時でもかなり古い感じで食べもの屋さんという感じではないものの、「割烹」という看板に少々ビビる。内部はきれいでウナギの寝床のように細長く、広い座敷に通された。割烹らしいメニューがあったかどうか覚えていないが、確かに釜飯のメニューが豊富。量が多いので二、三人でシェアするように言ってくれたのは、紹介してくれた人か店の人だったか。釜飯は最初から炊き上げるとのことで30分以上待たされた。昼食が未だなのに夕方近くで、とてもお腹が空いていたと記憶している。しかし出された海鮮の釜飯はどれもとてもおいしく、でも食べきれず、後にも先にもこれよりおいしい釜飯には出会っていない。このあと1度か2度、パラグライダー仲間と訪れたはず。
 現時点でこの店をWeb検索すると、食べログなどのサイトが出てきて、変わらず営業していたようだ。人気はやはり、比較的安価でおいしい釜飯だったようだ。
 今年三月十四日に撮影されたというGoogleの写真は、衝撃的だった。
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 海面からさほど高くないところにあったので、津波の被害を受けていることは確実だとは思っていた。案の定、割烹大松の建物は影も形も無くなっていた。しかし拡大された写真では、他の被災地と明らかに違う。瓦礫で埋め尽くされているのではなく、黒いのだ。そこで思い出した、地震の日の夜の自衛隊機からの気仙沼の映像。津波で被災した船の燃料などが海水に浮き、それに火が点いて津波となって気仙沼市街に襲い掛かったのだ。幅数kmと広範囲で、まるで空襲の集中砲火を受けたようなもっとも衝撃的な映像だった。

 大規模火災によって浮かび上がった形は、湾と川に挟まれ、海に突き出した南気仙沼そのもの。大松はあの大火の下にあり、黒いのは瓦礫が燃えてしまってカスとなったためだったのだ。全体の写真を見ると、焼けたところが黒々と見える。
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 あの辺りを訪れた際には、ぜひ立ち寄ろうと考えていた。食べるのが大好きな娘なら、きっと気に入ってくれると思ってたから。しかし、今はもう無い。でも、店が無くなっても釜飯を作るのは人。その人たちが生き残ってくれていれば、きっとどこかで開業して、あのおいしい釜飯を作ってくれるかもしれない。期待だけは失わずにいようと思う。

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2011年04月01日

浪板海岸

 3週間が経った。あの日に起きたこと、それ以降のことがなかなか受け入れられず、Google MapとかEarthとか、航空写真で旧前の故郷の姿を眺め続けていた。そしたら、昨日あたりからそれらの写真が震災後の無残な写真に入れ替わってしまった。もう、前に進むしかないのだなと思った。
 この3週間、なんだか懐かしい気分に浸っていたのは、地震情報を得るために以前はあまり点いていなかったテレビから東北訛が聴こえていたからかもしれない。方言だと関西弁ぐらいしかテレビからは聴こえていなかった気がする。東北は注目されていなかったのか、それとも比較的無口な人が多かったからか。老若男女の東北弁、とても耳障りがいい。以前はちょっと気恥ずかしかったが、慣れたのかそんな感じも無くなった。

 私が実家のある花巻市に住んでいたのは18年間。その間に、親に観光旅行に連れて行ってもらったことは一度も無かった。全国に親戚が散らばっていてそこを訪ねることはあったので、子どもながらそれでお茶を濁されていると感じていた。
 それでも、小学生後半にやっと自家用車を持てるようになり、年に一度、三陸海岸に日帰りか一泊で海水浴に連れてってもらった。これが唯一の家族旅行。三陸海岸には小さな海水浴場がたくさんあったが、親に連れられて行くようになってからはコースが大体決まっていたと思う。早朝に出発して国道283号線を東進し、北上山地に入り途中の仙人峠でひと休み。それから一気に下って釜石を経由し、ますは大槌町の赤浜というところ立ち寄った。沖合い500mほどのところに蓬莱島というのがあって、そこまで長い防波堤が繋がっていて、歩いて行くのだ。途中では釣りをする人とかいたが、目的は島。生き物の豊かな磯に囲まれていて、生き物好きな弟がここに必ず立ち寄りたがっていたのだ。そこを出て、お昼前には同じ大槌町内にある波板海岸が海水浴の目的地。この辺りにしては長い砂浜があって、それを目当てにたくさんの人が集まっていた。背後に砂防林としての松林。海と松林という組み合わせが、とても三陸らしい。浪板海岸は片寄せ波というのが有名で、その名のとおり引き波が無かった。水はとてもキレイで、水中眼鏡で除くと小さなサバとかたくさん見えた。端のほうに磯もちょっとあって、弟はそこに夢中。
 泊まったのはたぶん2回か3回。海岸から国道45号線を挟んで反対側のちょっと高台にあった「浜中」という民宿に泊まっていた。よく覚えていないけど、海の幸はおいしかったと思う。
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 私は泳げなかったので、海水浴は苦手だったけど、でも海はきれいだし、年に一度の非日常なのでそれなりに楽しかった。ただ、砂浜は侵食されて年々狭くなり、それを防ぐために沖に消波ブロックが置かれたりしたのは知っていたし、砂防林との間のコンクリート製の護岸が年々崩れて行って危ないなとも思っていた。
 家族と離れ、大学生になってから確か一度、当時付き合っていた人(仙台市在住;現時点で安否不明)と列車で浪板海岸に訪れたことがあったと思う。国鉄山田線の浪板海岸駅の近くにあった民宿に泊まった記憶があるが、それ以外は忘れた。その後、モーターバイクや車で通りかかったことがあったかもしれないが、忘れてしまった。海水浴をしたのは、そのとき、つまり30年ほど前が最後だと思う。
 Googleの入れ替わる前に保存していた写真を見ると、国道45号線は高規格のものに付け替えられ、旧道沿いにはサーフショップがあったりしてそれなりに今風の海岸になっていたようだ。その新しい姿を、見ることはできなかった。
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 震災後の写真では、あれほど努力して維持されてきた砂浜は少しも残っていなかった。津波は狭い低地のいちばん奥まで及んだようで、瓦礫だけの単純な平地に変わり果ててしまった。民宿は高台にあったのに、根こそぎ無くなっていた。辺りで一番高いところにあったホテルでも、まわりは瓦礫だらけになった。松の砂防林はかなり失われていたけど、消失まではせずかなりの瓦礫が引っかかったようだ。JR山田線は鉄橋ばかりか前後の線路や道床まで流出し、その残骸がどこまで行ってしまったか分からないほどだ。ただ、国道45号線だけは高規格になていたためか、すでに通行できるようになっているようだ。道路は、一部の都会を除いてメインのインフラなんだと再認識させられた。
 娘が四歳になったので、そろそろ海にでも連れてってやろうと考えていた。岩手の海なら混雑することはないだろうし、水もきれいなのでデビューにはいいかなと思って。ここか、陸前高田市にある高田松原にしようかと考えていたが、どちらも完全に無くなってしまった。いや、三陸海岸すべての海水浴場が消失したのだと思う。10mを超える津波に、残れるはずもないか・・・。

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2011年03月10日

あと4年間見られるけど・・・

 我が家のテレビは、アナログチューナー内蔵のPCモニター兼用。それにアナログのビデオデッキとアナログチューナーボードを内蔵したデスクトップPCを接続し、それぞれから計2本の同軸ケーブルが出ている。
 我が家は、通称マンションと呼ばれているコンクリート製アパート。ここは東京タワーから見るとアナログ電波の陰になる難視聴地域で、東京電力が無償でケーブルテレビを各戸に引いていた。それも地上波デジタル化で不要になるので、まわりの戸建の家の屋根には最近になって続々とUHFアンテナが立ち始めた。地デジ化って景観を悪くするものなのね。つい先日我がアパートでもケーブルテレビ工事があったので、これはオーナー負担(実際には私たちの家賃から払われるのだけど)の有償化への切り替えのためだと思っていた。
 今日、ちょくちょくあるPCの不調でもないのに、予約していたテレビ番組がPCで録画できなかった。そこで思い出した今日の未明、(アナログ)3チャンネルにしたら画面に出ていた信号が検出できない旨のメッセージ。これってデジタル放送のものでは・・・。改めて画面をよく見てみると、16:9化で幅広になった黒帯部分の「アナログ」の文字が表示されておらず、替わって右上の部分に「NHK G」だの「E」だのすかしのような文字やロゴが表示されている。こりゃあデジアナ変換だー。聞いてなかったぞーと調べてみたら、ケーブルテレビ会社のWebサイトにちゃんと発表されていた。

デジアナ変換の暫定的な導入方針を決定 〜お客様のアナログテレビ等の継続使用ニーズに期間限定で対応〜 2010.04.21
デジアナ変換サービスの早期開始を決定 〜お客様のアナログテレビ等の継続使用ニーズに期間限定で対応〜 2011.1.20

 これによると、デジアナ変換は当初アナログ波停止の日から二〇一五年三月末まで行う予定だったのを、混乱を避けるために三月、つまり今月頃から順次始めるというもの。それが今日だったのだ。これで、今年七月でテレビを見るのをやめようと思っていたところ、それがこのままの環境でも4年ほど延びることになった。パチパチパチ。
 しかし喜んでもいられない。上記のとおり、デジアナでもCPRMに対応していなければ録画ができない。PCの内蔵チューナーは古いものなので、対応なんてしてくれるはずないし、他の方法も検討する暇が無い。これで、壁から繋がってる同軸ケーブルの一本が無駄になるなぁ。アナログとは言え、十分視聴に耐えうる画質・音質だったのになぁ。ホント、デジタル化って視聴者に負担ばかり強いて、メリット無いなぁ。
 アナログ受信者に向けて毎日毎日されていた脅し放送。画面を突然砂嵐にして、あと何ヶ月なんてカウントダウンして。娘は当初それを嫌がり、早く対策してくれと言っていたのだけど、最近はDVD見られるからテレビは要らないって言うようになっていた。そのカウントダウンも、「あと4ヶ月」のところで見られなくなった。それはいいんだけど、録画が問題。でも、せっかく娘も諦める気になっているんだし、最近はニュースぐらいしか見てないし、それもほとんどBGM化しているので、特別な対処はしたくないなぁ。ビデオデッキに録画して、それをPCにダビングしようかな。画質は大幅に落ちるし、手間も倍増だけど。
 それにしても、ニュース以外で唯一見ていた番組「相棒」の今シーズンの最終回が昨夜で、奇跡的に間に合ったー。こりゃあついてるぞ。
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2011年02月14日

久しぶり!

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 降らないって言ってたのに・・・。
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2010年12月22日

昔懐かしのはずが

 最近、キャラメルをいただく機会があり、四歳になった娘に初めて食べさせた。しかしそれは明治製菓サイコロキャラメルだったのでかなり大粒で、まだ口の小さい娘には食べにくそう。もちろん、そんなことでめげて食べない娘ではなく、おいしいと言って完食していたけど。
 ならばと昔懐かしい、私の子どもの頃はこれが定番と言うかこれしかなかったかもしれない森永製菓ミルクキャラメルを買ってやると娘に宣言。世代の違う妻も、これに関しては同意見で買うのを娘とともに楽しみにしていた。
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 スーパーマーケットで購入し、さっそく手にしてみると・・・箱の黄色いデザインは昔のままで、品質などをアピールする青や緑のアイコンが追加されていてちょっと煩わしい。そして持った感触がなぜか軟らかい。最初、これは箱の紙が薄くなったのかと思った。
 開けてみたら、あの半透明の紙ではなく、後発のハイソフトのような、外側が銀色の不透明の紙に包まれていた。粒自体も昔の平べったい感じではなく、より立方体に近い感じ。そして箱の軟らかい感じは、粒の形が変わって中身の隙間が多いためだった。昔は、粒が箱の中にみっちり詰まっていたのに・・・。ちなみに、サイコロキャラメルのほうは半透明の包み紙のままで、大きなサイコロの中に2個、みっちり詰まっているのも昔と同じままだ。だからこそ、ミルクキャラメルにも期待してしまったのかも。
 娘が食べただけで私自身は未だ味わっていないのだけど、味だけは変わっていないと信じたい。ただ、見た目や持った感触で懐かしさは半減した。
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2010年10月12日

50日間のブランク

 色を塗り直してもらいました(左→右)! 元の色は、知ってる人は知ってますよね?

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 ついでにODOを75,701kmほど巻き戻してもらって、形もちょっと変えて・・・























・・・んなこたぁ無いか。いろいろありましたが、やっと・・・。

 Facebookには、もっと生々しい写真があります。
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2010年09月30日

rewind

45,441km-
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2010年08月23日

one-one-zero

-121,144km
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2010年08月21日

エコ疲れ

 昨日のWBSで「エコ疲れ」についてやっていたのだが、そこでちょっと信じがたいことを70%の人がやっていて驚いた。それは冷房の設定温度。28度以上に設定している人が30%しか居なかったのだ。
 28度というのは、おカミの誰かが呼びかけたか何だかエコロジーのためのものらしい。賃貸の我が家では春先にエアコンがぶっ壊れてくれたおかげで、今は新品快適生活を送っている。この夏は昼夜を問わずほぼ点け放しになっているが、設定温度はたいてい30度。夜間など外の温度が下がると影響を受けるらしいので、それでも29度だ。新しいエアコンだから、温度も正しいと思うのだが・・・28度では涼し過ぎ、29度でも一時停止することも多い。
 ところが世の中では、暑くなれば設定温度を下げて、25度、24度、23度なんて人もいるらしい。そのエアコン壊れてるんじゃないの? あるいは、ケチって部屋面積に足りない性能のを使ってるんでないの? と思うけど、70%とはかなりの多数だ。そんなに外気温との差を作って大丈夫? エアコンは設定温度を保つように動作してくれるだろうから、下げ過ぎの意味は無いんじゃないのと思うけど。
 我が家では節約の意識はちょっぴりあるかもしれないけど、エコロジーの意識はゼロ。CO2の増加と地球温暖化の因果関係なんて証明されてないし、第一温暖化していると確定もしてないし。今のところ、政府が特定の業界に儲けさせてるだけにしか見えない。でも、23度は無いでしょ、という話。
posted by Hiko at 06:16| Comment(1) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする