2011年05月13日

赤浜(蓬莱島=ひょっこりひょうたん島)

 赤浜というのは、岩手県上閉伊郡大槌町にある地名。人口の少ない町なのでどこが中心部なのか分からないが、JR山田線の大槌駅や町役場のあった辺りをそう呼ぶのであれば中心部から程近いところにある。数十年前の私が訪れていた頃にはすでに護岸が整備済みで、「浜」と言った面影は無かった。山が海に迫り、その最後の平地のぎりぎりまで住宅地が広がり、その向こう端から幅の狭い防波堤が海に向かって突き出していた。その長さは400m以上。この堤防が、大槌湾の入口に立ちはだかって町の中心部を守っていた。
20110513_1.jpg
 蓬莱島はその防波堤の先端にある。先端にあると言うより、蓬莱島と赤浜の一番近いところを防波堤で結んだ感じ。蓬莱島はその形から作家の故・井上ひさし氏が「ひょっこりひょうたん島」のモチーフの一つとしたとされているが、私がここを訪れるようになった頃はすでに放送後だったものの、そのことを知ったのはかなり後になってからだ。島自体は長辺でも50mほどの小さなものだが、瓢箪の大きいほうの膨らみにあたる部分では高さが10mほどあり、近くに行くとそそり立っている感じがした。いちばん高いところに神社があり、四方を崖に囲まれている。瓢箪の小さいほうの膨らみにあたる部分には灯台があった。灯台の部分以外は松の木に覆われ、小さい島ながらバラエティに富んでいた。
 しかし私や私の弟をワクワクさせたのは、もっと下のほう。まずこの長ーい防波堤。高所恐怖症で泳げない私にとって、深い海に挟まれた細い小径など恐怖そのもののはずだが、海水は透明でいつも訪れる朝方は海面も鏡のようで底までよく見え、普段川魚に馴染んでいた私たちにとっては珍しい魚ばかり。海底にいるアメフラシやウミウシやウニ、ハコフグが泳いでいたり、防波堤にはカニやエビがたくさん。そして蓬莱島は大きな岩が重なり合った感じの磯そのもので、岩の裏側や水の溜まったところは海の生物の宝庫。近くに水族館は無かったけど、年に一度ここを訪れるのが楽しみで楽しみでしょうがなかった。特に弟は。持ち帰っても生かし続けることはできないのに、子供らしくどうしてもいろんな生き物を持ち帰ってはすぐに死なせ腐らせてしまってたっけ。
 波板海岸の項でも書いたが、ここに連れてきてくれたのは最初は叔父だった。国道からも外れたところ、ここの最初に訪れたのは何か情報があったのか、それともたまたま見つけたのか分からない(いつか聞いてみようか、叔父が健在なうちに)。以降、浪板海岸や吉里吉里に海水浴に出掛けた際には必ず立ち寄るようになった。浪板海岸や吉里吉里は同じ大槌町内にあり、赤浜からはあと半島を一つ越えるだけだから。だから、訪れるのは必ず朝だった。
 上記の写真は1977年のもので、ちょうど私が頻繁に訪れていた頃なので私の記憶の中の赤浜とほぼ一致している。以来30年近く訪れていないうちに様相はかなり変わり、防波堤の根元には東大海洋研究所ができ、専用の船着場などが整備されていたようだ。
20110513_2.jpg
 津波は大槌湾にも深く入り込み、湾内でも平地はごく僅かしか無かったためか、そこに被害が集中したようだ。僅かな平地=市街地のほとんどであったため、町は壊滅状態。その海沿いにあった町役場に町長や幹部が集まって会議をしているところを津波が襲ったため、町長を含むほとんどの幹部が亡くなってしまった。今回の大震災で唯一、首長が亡くなったところでもある。町の機能まで止まってしまった。
 ちょうど大槌町内でドック入りしていた釜石市の大型観光船「はまゆり」が、ほぼ無傷のまま二階建ての民宿の屋根の上の取り残されたのは、防波堤のすぐそばのこの赤浜でのことだ。

 震災後の写真からは防波堤がすべて消え、その残骸と思われるものがやや湾の奥寄りに沈んでいるのが見える。押し波で一気に崩れたのだろう。小さな蓬莱島もたぶん全体が津波を被ったはずで、島の面積はやや小さくなり、灯台は根元から折れて海に消え、松の木も減ってしまった。しかし島自体は消えることなく、神社の建物は残り、残った木もかなりある。波は高くても湾の入口にあるので、何かがぶつかって壊れるという可能性が低かったのだろう。以前の蓬莱島はいろんなものが乗っかってそう見えなかったし私も気づかなかったのだが、今の蓬莱島は防波堤が外れて灯台が無くなり、木も減って島自体の形が露出し、瓢箪島らしく見えるようになった。井上ひさし氏が無くなって1年、瓢箪島は昔の面影を取り戻してここに残った。海に浮かぶ島に戻った。
 民宿の上の観光船は震災の象徴として残す話もあったそうだが、先日結局地面に下ろされて解体が始まった。もったいない気がするのだけど・・・。

 ここにも娘を連れてきたかったが、島は本当に島になってしまったのでもう叶わない。また防波堤で繋ぎ止められてしまう日は来るのだろうか。

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posted by Hiko at 02:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おひさしぶりです。
hikoさんにとっての多くの思い出の地が、
今回の震災で以前の美しい姿を失ってしまったんですね。
でも、こうやって思い出の地をブログに記載することで、きっと心の中にずっと残ることと思います。
昨日、私は、野菜ソムリエの仲間と一緒に南三陸町に炊き出しに行ってきました。
街は殆ど壊滅状態。目の前には灰色のがれきの山、山、山。
それなのに、周りに広がるのは、何処までも青く美しい海と空。
余りに対照的な風景に、
現実感を失いそうになりながら、仙台に戻ってきました。
こちらの復興には、相当な年月が必要となるかと思いますが、人が持っている底力を
信じていきたいですね。
Posted by いしころとまと at 2011年05月17日 21:02
 311、すぐに停電しましたが、揺れの種類・大きさ・永さから、とてつもなく大きな地震が起きていることは想像がつきました。当日その後、携帯ラジオから流れてくる情報を聴きながら、困難が予想されて復興をどうやって進めていくべきか考えていました。
 どう復興するのかは、政府や東京にいる人たちではなく、被災したかたたちやすぐ傍で支える人たちが考えるべきだと思います。私たちはお金を出し力を貸すだけです。
 ただ復旧してはいけないと思います。復興し、震災以前の状態に成長する機会にしてほしいです。
Posted by Hiko at 2011年05月18日 03:08
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